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リフォーム 杉並区を復旧させるには?

日本では、新聞や雑誌などで霞ヶ関の人事予想や新次官の人物紹介などが大げさになされ、書店に役所を題材とした本が並ぶのとは対照的である。 その意味では、英国における「政」と「官」の関係は実に民主的で筋道だっている。
当然のことだが、「官」に民主的な正当性はかけらもないのだから、「政対官」などと議論するまでもなく、「官」の役割は、会長・社長にあたる「政」に奉仕することでしか有り得ない。 ながら、会長・社長が十分に能力を発揮するためには、その会長・社長自身の能力の問題は別としても、いくつかの条件が満たされることが必要であろう。
日本において、「官」は「政」に奉仕するものだという意識が少々希薄である背景には、「国民全体の奉仕者」という役人の位置付けがあるように思われる。 逆に、英国において、官僚の大臣に対する忠誠度が高いことの大きな理由の一つは、役人に「時の政府の奉仕者」という地位が与えられているからである。
英国には、起源を辿れば、19世紀後半の公務員制度改革にまで至る官僚の行為規範があり、関係者との飲食や金品受領の禁止といった一般的な規範のほか、注目すべきものとして、「政治家と官僚の接触禁止」というものがある。 英国の官僚は、自分の省にいる大臣や副大臣などの政治家以外の政治家との接触は原則として禁じられており、かなり厳格に運用されている。
郵便事業委員会の長官で1990年から1992年まで貿易産業大臣の首席秘書官を務めていたM氏は、著書の中で、「公務員は、大臣の同意を得ることなくして、与党を含め議員に説明をし、議員が役所を訪ねてくることに同意する、などをしてはならない」と述べている。 その直接の由来は、19世紀に、英国官僚が猟官制のもと汚職の多発などによって腐敗していたことに対する反省であるが、その根元は、更に歴史的なものである。
英国の官僚は、歴史的に、行政を司る国王の臣下であり、国王への忠誠義務を負っている。 ここで、英国官僚が国王の臣下であるということを明確に理解してもらうため、私が遭遇した一つの例を紹介しよう。
2000年5月29日(月)、英国は、祝日に当たっていた。 その前々日の5月27日(土)からの三連休を満喫した私は、5月30日(火)、いつも通りの通勤ラッシュにもまれながら英国大蔵省の門の前に辿りついたのである。

英国大蔵省の門が閉まっているではないか。 守衛さんに聞いたところ、「今日は、女王の誕生日を祝して国家公務員の特別休暇という。
そういえば、前の週の金曜日、部屋の同僚が「今回は休みが長い」と楽しそうに言っていたことを思い出した。 調べてみると、王室の行事に関連して、形式上は現在でも王室の臣下たる国家公務員にのみ認められた特別休暇がこれ以外にも年間数日あることが分かった。
日本から来た私に知らせるのを忘れるぐらい、英国の役人にとっては、ごく当たり前のことなのである。 民間の会社はもちろんのこと、国民の殆どが通常通り働いているのに、官僚が皆、休みを取っている、こんなことが日本で起こり得るであろうか。
「国民の税金で食わせてもらっているくせに何だ」となるのが落ちであろう。 いずれにせよ、英国官僚は現在でも国王の臣下であり、国王の行政権が現在では民主的に選挙された政府によって担われていることから、官僚は、時の政府に対して忠実に責務を果たす義務を負っているのである。
このことは、内閣官一房が発表している「大臣との関係における役人の職務と責任」という文書の中でも次のように確認されている。 「役人は、時の政府全体、すなわち集団的にとらえられる女王の大臣団及び役人制度の担当大臣としての首相に奉仕する。
役人の最も重要な職責は、自身が属する省を担当する女王の大臣に対するものである。 その省の所管事項及び事務管理について、議会で責任を取り、答弁を行うのは大臣である。

役人の職責は、大臣に対して誠実で、かつ能力の及ぶかぎりの奉仕を行うことである」仮に、官僚が時の政府でない「影の内閣」あるいは野党一般に対して何らかの便宜を図れば、明らかに官僚が負っている責務に対する重大な違反となる。 それは、選挙という民主的な手続きによって示された国民の意思に背くこととなるからである。
したがって、英国で、政府に所属しない政治家が政府の政策について知りたい、資料をほしいという時の一つの手段は、大臣宛てに手紙を書くことであり、もう一つは、議会で質問することである。 同様に、政治家が自らの選挙区の問題を役所に陳情、苦情を言いたいという時にも、手紙を大臣宛てに送ることが中心となる。
また、手紙ではなく面会をということであれば、大臣が応対するのが基本となる。 この点、「時の政府の奉仕者」ではなく「国民全体の奉仕者」としての責務を与えられている日本の役人とは、その位置づけが少々異なっている。
「国民全体の奉仕者」である日本の役人は、与党であれ野党であれ、「何時にここへ来て説明しろ」と言われれば、飛んでいかざるを得ないが、こうしたことは、英国では起こり得ない。 変な話であるが、日本の役人の机の上には国会便覧や国会議員名簿などが必ずあるが、英国の役人の机には、こうしたものはない。
そもそも、役人にとって、政治についてよく知っている、あるいは政治家とパイプがあるといったことが重宝がられたりもしない。 また、「国民全体の奉仕者」という日本の役人の位置付けは、「短期的で部分的な利益を追求しがちな政治に影響されることなく、役所こそが国民全体のために最適な解を追求すべきである」という徹慢な考え方に一つの根拠を与える結果となっているようにも思われる。
更に、間違いや責任を認めたがらない日本の役人の気質というのも、この「国民全体の奉仕者」という点から出ている部分もあるように思われる。 「間違いに寛容な英国」について述べたが、政治・行政の面から言うと、それは、英国において民主主義が徹底していることを意味する。
民主主義とは常に間違うものであり、だからこそ次の選挙で過ちを正すのである。 ところが、「国民全体の奉仕者」として政治から超越した位置付けを与えられているように見える日本の役人は、なかなか間違いを認めようとはしない。
ただし、「国民全体の奉仕者」という日本における役人の位置付けは英国の「時の政府の奉仕者」という位置付けの対極にあるわけではない。 何故なら、全国民の統合の象徴でもある女王(国王)に仕えるという意味で、英国の役人も「国民全体に奉仕する」という使命があるのは当然であり、役人の間にもその意識は徹底しているし、そのことが役人の資質の一つとして求められているのも事実だからである。
純粋に自分の生まれた国のために働きたい、何か国民全体の利益にかかわることをしたい、あるいは民間で利益を追求することには魅力を感じない、という役人的動機も共通している。 英国の場合、国民全体に奉仕するという意識は、国民全体が民主的に選んだ政権与党の、更に実際に行政活動に責任を持つ内閣に対して役人は奉仕するという形で現れるのである。
少々話は逸れるが、「時の政府の奉仕者」としての自覚がどれほど徹底しているか、一つ例を挙げておこう。 英国大蔵省でも日本と同様、一日あるいは一泊二日で、職場を離れて課の親睦を深めるための行事が課単位で行われることがある。

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